ゲーム今昔

TVゲームの昔話やドラクエウォーク旅

1980年(昭和55年):携帯ゲーム機とアメリカを席巻した2つのゲーム

■車内の会話から始まった携帯ゲーム機

突然ですが、当時任天堂の開発課長だった横井軍平氏は社長の山内博氏から送迎車の運転を命じられます。「せっかく社長といるのだから、何か新商品の話題でも振ってみよう」横井氏は大阪まで運転する車の中で、以前新幹線車内で見たある光景(電卓で遊ぶサラリーマン)からヒントを得た新商品「液晶小型電卓ゲーム」の構想を山内氏に伝えます。そしてその日社長が行く先には液晶メーカーとして有名なシャープの社長も来る事になっていました。

こうして横井氏が何気なく出した話を山内社長はその日にシャープの社長に提案します。当時は電卓の需要が伸び悩み、シャープとしても液晶工場の空いた生産ラインの使い道を考えている状況だったのですぐに話がまとまりました。そうして完成したのがゲーム&ウォッチです。

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本体に内臓されているゲームは1種類だけで、使われている技術やゲームの内容も使い古された物でした。しかし当時7000~8000円が主流だった価格を5000円前後と極力抑えて発売して国内累計1000万台、海外では3000万台を超える大ヒットとなりました。(現在でも中古ショップでは1個1万円前後のプレミア価格で取引きされています)

任天堂アメリカ支社(NOA:Nintendo Of America)設立と窮地に降臨した「Mr.VideoGame」
海の向こうのアメリカでアタリ社が売り上げピークだったこの頃、任天堂アメリカ支社の 「ニンテンドーオブアメリカ(NOA)」 を設立します。そしてアメリカ市場開拓の足掛かりとして、日本で人気が高かった「レーダースコープ」というシューティングゲームを主力として3000台製造します。

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日本から製品が届くまでの数ヶ月間、NOAは業者に宣伝を行います。しかしアメリカの業者からは「日本では人気メーカーでも、アメリカでは実績の無い会社の商品が本当に売れるのか?画面もスペースインベーダーっぽいし」という見方をされてあまり興味を示されませんでした。結局売れたのは製造&輸送コストをどうにか回収出来る1000台程で、残り2000台の在庫が倉庫を占領する結果になりました。

日本国内ではトランプや花札等の玩具メーカーの頃から培った問屋に卸す独自の流通経路を活用して来ましたが、アメリカではそうした流通経路を一から開拓しなければならなかったのも大きな問題でした。初期投資額も底を尽いたNOAは設立早々「売れない2000台のゲーム機」を売りさばかねばならないという窮地に陥ってしまいます。

レーダースコープは思う様に売れず、かといって新しいゲームを作る資金も無い。ではどうすれば良いか?NOAはここで大きな賭けに出ます。

「ゲーム機自体は2000台が倉庫に眠っているのだから、それらの中身を変えて新商品のゲームとして売り出せば良い。新たに新商品を京都で作って数ヶ月輸送するより安いし早い。」しかし当時日本では「ゲーム&ウォッチ」が大ブームで横井氏を始め他に手の空いている人材がいない事から、この新しいゲームのアイデアを社内コンペで募集します。

「デザイナーに考えさせたらどうか」という横井氏の提案により、社内企画コンペで入社4年目のデザイナーが選ばれ、ゲーム開発経験が無かった為に教育係として横井氏が指名されて制作が始まります。そしてこのデザイナーこそ宮本茂氏でした。

当時アメリカで実写映画化され、版権が取れそうだった「ポパイ」のゲームを考えます。

・工事現場を舞台にして画面上部に悪役のブルート、画面下部にポパイを配置
・ブルートに捕まったオリーブを助ける為にポパイが登って行くロマンス要素
・上からブルートが落として来る樽をポパイが避ける
・樽を飛び越えられると面白いのでは?
・ハード上の制約で画面スクロールが出来ない →
 上って追いつめる印象を与える為に4つのステージを経由して物語を完結

上記の様なアイデアを出しますが、版権を取得するには数年掛かる事が分かってポパイを使えなくなります。そこで宮本氏はポパイのコンセプトである
「正義感の強い男、毛むくじゃらの大男、助けを求めるヒロイン」という登場人物の設定を活かしつつ、デザイナーの本領を発揮して「色数が制限される中で動かしやすく個性的なオリジナルキャラクター」を考えます。

キングコングとヒロインと跳ぶ男

まず敵役の大男をアメリカ生まれのキングコングに決めます。日本でも「キングコング対ゴジラ」という映画が上映されており、アメリカと日本どちらにもキングコングというキャラに知名度を期待出来たからです。

もちろん「キングコング」というそのままの名前は使えないので、新しい名前を考える必要があります。宮本氏はキャラのイメージとして「頑強だけどちょっとまぬけ」という意味を持つ英単語を考えます。するとロバを表す「Donkey」が「まぬけ」という意味を持つと知った事から、敵役のコングを「ドンキーコング」と名付けます。(後にアメリカ人から「Donkeyにそんな意味は無い」と言われるが結局そのままに)

世界観を決定づける巨大ゴリラの名前はそのままゲームの名前になりました。後の2人ですが、さらわれたヒロインは特定の国籍をイメージさせない様にあえて名前を設定せず「レディ」と名付けられます。

そしてヒーローの立場である主人公の男ですが、当初は名前すら与えられずに宮本氏は今後自分が作るTVゲーム全てにこのキャラを使うつもりで「Mr.VideoGame」と名付けますが開発スタッフからは「おっさん」と直球で呼ばれていたそうです。(さすがにあんまりだと言う事で「ジャンプマン」に落ち着きました)

登場人物と名前が決まり、次はキャラクターデザインです。当時のハードウェアの性能から各キャラ3色以内で表現しなければなりませんでした。

「ジャンプマンのデザイン」

 ・顔が分からないキャラでは愛着は持たれない → 顔が必要
 ・固定画面のゲームなのでキャラを大きくすると画面内の行動範囲が限られる →
  キャラは出来るだけ小さく
 ・出来るだけ小さいキャラで個性的な顔 →
  ヒゲなら横1列のドットでそれと分かると同時にどこまでが鼻と口かも確定する。
 ・シャツとズボンでは個性が出ない → 
  ズボンのドットを2列上に伸ばしてオーバーオール。伸ばしたドットで体と腕の見た目が分離するので走って腕を振り上げる動きがはっきりするし工事現場だしOK
 ・走っているなら髪をなびかせたいが技術的に無理 → 
  帽子かぶせればなびく必要ない。帽子のつばで左右どちらを向いているかも分かりやすくなる。
 ・配色はピンクと赤と青の3色
 ・顔、耳、手の肌部分にピンク
 ・髪の毛に青
 ・帽子は残った赤
 ・他に色が無いので帽子に合わせて赤いシャツ
 ・ジャンプ時に伸ばした手が目立つ様に白い手袋


「レディのデザイン」

 ・男より背が高い
 ・子太りの男との身長の違いを際立たせる為に細身
 ・肌はほぼ白、髪は長髪のオレンジ
 ・服はピンクのドレス

 

ドンキーコングのデザイン」
 ・キャラ毎のサイズの違いを明確にする為に出来るだけ大きいサイズ
 ・服は着ないのでブラウン系で全身を統一
 ・目と歯は白で際立たせる

 

「舞台設定」
 ・オーバーオールを着る職業と言えば大工
 ・コングは最上部で待つ。現代劇で高い所と言えばビル、そして工事現場
 ・オープニングにはアニメーションでストーリーを表現
 ・ステージクリア時に一瞬再開するが、直後に再びコングにさらわれる演出

 

その後、名前の無かったヒロインには当時2000台のレーダースコープを保管していた倉庫の管理者の奥さんの名から 「ポリーン」 に改名され、最後にジャンプマンの名前ですが、これはある日NOAに使用料を要求しに怒鳴り込んで来た別の倉庫オーナーの名前 「マリオ・セガール」 から「マリオ」 という名に生まれ変わります。(このオーナーにも口ひげがあり、アメリカだけで無く様々な国で使われていそうな名前という事で決定したそうです)以上の経緯を経て「ドンキーコング」は完成します。しかしいざ売り込みを開始すると評判はあまり良くありませんでした。

 

・ゴリラと大工が闘うゲームって何?
・シューティング(敵を直接攻撃する)ゲームが当たり前なのに主人公は直接コングを攻撃しない
・タイトルが意味不明(ロバコングって?)
・難易度が高く、数回のプレイではステージ1でGAMEOVER

しかし2000台から2台のROMをレーダースコープからドンキーコングに乗せ換えてロケテストをした所、レーダースコープの数倍の売り上げを記録して評判を聞いたオーナー達から注文が殺到します。

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そして1981年10月(日本では8月)にアメリカで発売されると、不良在庫の2千台どころか新たに1万台以上追加しても追いつかない程の大ヒットとなり「NOA」は初年度売り上げ1億8千万ドル、次年度も1億ドル以上を売り上げてその名を全米中に轟かせます。(この数字は先人のインベーダーやパックマンも到達していません)

売れ残ったゲーム機2000台をROMを乗せ換えて売る賭けや当時任天堂の主要開発陣がゲーム&ウォッチに掛かりきりだった事、そしてゲーム制作経験の無い宮本氏にあえて任せた山内社長とその宮本氏の教育係としてゲーム制作を指導した横井氏。多くの人達の考えといくつもの偶然が重なって「ドンキーコング」が、そして「ジャンプマン」が誕生しました。

■家庭用への移植権利は誰のもの?

業務用でこれ程売れたドンキーコングですから、当然「ぜひウチのゲーム機に移植させて欲しい」という希望が数多く寄せられました。特にタイトー等は「ドンキーコングの全権利を売って欲しい」と交渉して来ましたが、その中で任天堂は家庭用移植の権利をアメリカのコレコ社に許諾します。

電子ゲーム1個につき1$、家庭用カートリッジ1個につき40セントのロイヤリティを払う要求を飲んで製造許諾を得たコレコは、自社の家庭用TVゲーム機 「コレコビジョン」 にドンキーコングをバンドルして半年独占販売した後、競合メーカーの家庭用TVゲーム機に移植して売り上げ5億$を達成します。

アメリカと同様に日本でも大人気となったドンキーコングですが、日本で当時人気だった携帯ゲーム機「ゲーム&ウォッチ」にも移植されます。そしてこの「ゲーム&ウォッチドンキーコング」の操作系で横井氏は後の家庭用TVゲーム業界に多大な影響を与える 「十字キー」 を発明します。

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宮本氏はその後も開発業務に携わり、「スーパーマリオ」や「ゼルダの伝説」等、任天堂の看板タイトルとなるヒット作を 連発して「世界一のゲームクリエイター」と呼ばれる程の活躍をして行きます。

■宮本氏と同時期に現れたもう1人の神

宮本氏がドンキーコングを作って開発デビューしたこの年、ナムコからドンキーコングと並ぶ(以上?)程のタイトルが発売されます。ナムコの業務用タイトル第一号 「ジービー」 を制作した岩谷徹氏が開発した 「パックマン」 です。

岩本氏はギャラクシアンはヒットしたがプレイするほとんどが男性」という点に着目して、女性がゲームセンターへ足を運んでくれる様な非暴力的なゲームを作りたいと考えていました。

そして1979年春、昼食に注文したミックスピザの6分の1を手に取って食べて残りの6分の5を見た時に「パックマン」のデザインを思いついたそうです。

ゲーム内容は「パックマン」と名付けたキャラクターを操作して迷路状のマップに配置されたドット状のクッキーを食べて行き、4匹の敵モンスターの追跡をかわしながらマップ上のクッキーを全て食べるとステージクリアー、と言う「ドットイートゲーム」と呼ばれるタイプのゲームでした。

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パックマンの特徴」
・ゲーム登場キャラクター全てが丸みを帯びており、音楽も明るい
・ボタン操作が必要なくプレイヤーは4方向レバー操作だけ
・クッキーやボーナスアイテムのフルーツ等、基本的に女性の好む食べ物が選ばれている
・マップ4隅にある「パワーえさ」を食べると一定時間モンスターの色が青くなり、
 その間パックマンが逆にモンスターを食べる(一時的に追い払う)事が出来る
パックマンに食べられたモンスターは画面中央の檻に戻り、一定時間経過すると
 元の姿になってまた追いかけて来る。つまり一時的に追い払うだけで「敵を殺す」システムではない

■日本以上にアメリカでブレイクした「パックマン

さらにアメリカでは 「パックマン」 以上に売れた 「パックマン」 が存在します。アメリカのゼネラルコンピューター社が「パックマン」を改良して制作した「ミズ・パックマン」です。

ゼネラル社はナムコから許諾を得ている米ミッドウェー社に対して「パックマンの強化版開発の許可を得たい」と申し出てナムコから製造許諾を得ました。そしてプレイヤーキャラであるパックマンに赤いリボンと口紅、さらに付けボクロをつけた「女性版のパックマン」を制作しました。

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こうした日本に存在しない 「ミズ・パックマン」 の効果もあって全米では日本以上の大ブームとなります。「ザ・パックマンショー」 というアニメ番組が制作されたり、パックマンをテーマにした 「バックナー&ガルシア」 という歌手がリリースした 「パックマンフィーバー」 が全米ヒットチャート9位にランクされたりと、ピーク時には関連グッズが某黒いミッキーねずみ以上の売り上げを記録してしまったのです。(ちなみにパックマンフィーバーのB面は「Do The DonkeyKong」でした)

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このパックマンの大ヒットによる大増収でナムコは事業を一気に拡大、新入社員の採用枠も拡大されてどんどん新入社員が入って来ます。そしてそんな絶好調なナムコに1981年に入社したある人物が、パックマンを生んだ岩谷徹氏に次ぐ「ゲーム神」として1983年にシューティングゲームの常識を覆すゲームを完成させます。

■日本の携帯電子ゲームブーム

一方、その頃の日本国内TVゲーム市場は『携帯電子ゲーム』の台頭で賑わっていました。この年業務用でヒットしたナムコの「パックマン」や任天堂の「ドンキーコング」の移植も据え置き型の家庭用テレビゲームではなく携帯電子ゲームへの移植が優先される程でした。

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そして電子ゲームに押されて元気のなかった据え置き型の家庭用TVゲーム機でしたが、インベーダーブームから2年後のこの年粘り強く家庭用ゲーム機を製造していたエポック社から、本体内臓型で価格を抑えた家庭用ゲーム機 『テレビベーダー』 が発売されました。

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すると当時保護者連合軍の攻勢に会い、 インベーダーハウスから撤退を余儀なくされた小中学生宇宙戦士達の心を掴んで品切れを起こす程の大ヒットになったのです。

インベーダーはゲームセンターからは姿を消しましたが、人気がなくなった訳ではなく携帯ゲームは多数発売されていました。携帯型の電子ゲームが流行っていたと言っても、やはり子供達は携帯ゲームの小さな画面よりテレビの大画面で遊びたかったんです。そしてこの 「テレビベーダー」の後に発売されるエポック社の新作ハードが家庭用TVゲーム市場を更に活気付ける事になります。


参考:
社長が訊くNewスーパーマリオブラザーズWii
It’s The NINTENDO
電子ゲーム大作戦、電子ゲーム大百科

■1980年の主な出来事(大卒初任給 約114,500円)

『一般』

・この年ソ連で行われたモスクワオリンピックで日本・アメリカ・西ドイツなどIOC加盟148カ国中67カ国がソ連アフガニスタン侵攻に抗議して不参加
・バレンタインのお返しに当たるホワイトデーがスタート(この風習は日本だけ)
・進研ゼミスタート
プロ野球読売巨人軍長島監督が辞任、王貞治選手が引退
・牛丼の 「吉野家」 倒産(その後セゾングループが再建)
ビートルズのジョンレノンが射殺される(40歳)
松田聖子デビュー
・富士山で9合目から6合目まで落石発生、登山客ら12人死亡
川崎市で二浪中の予備校生(20)が深夜に寝ている両親を金属バットで撲殺 (キレる原型)

『ヒット曲』
昴、ランナウェイ、TOKIO、ダンシングオールナイト、帰ってこいよ、みちのくひとり旅

『ヒット商品』
ルービックキューブチョロQ緑のたぬきポカリスエット、カール

『流行語』
赤信号みんなで渡ればこわくない、 カラスの勝手でしょ竹の子族

『この年連載開始の漫画』
Dr.スランプ鳥山明)「週刊少年ジャンプ
ハーイあっこですみつはしちかこ)「朝日新聞
・みゆき(あだち充)「少年ビッグコミック
3年奇面組新沢基栄)「週刊少年ジャンプ
めぞん一刻高橋留美子)「ビッグコミック・スピリッツ」
フリテンくん植田まさし)「週刊漫画アクション
かりあげクン植田まさし)「週刊漫画アクション

『この年生まれた有名人』
山田まりあ田中麗奈、優香、広末涼子榎本加奈子
ロナウジーニョ玉田圭司大黒将志松坂大輔藤川球児
水樹奈々、小林紗苗、能登麻美子坂本真綾門脇舞茅原実里伊藤静

『TV番組』
・つりキチ三平      ・新鉄腕アトム
ニルスのふしぎな旅   ・無敵ロボトライダーG7
伝説巨人イデオン    ・キャプテン
宇宙戦士バルディオス  ・あしたのジョー
宇宙大帝ゴッドシグマ  ・魔法少女ララベル
・怪物くん        ・とんでも戦士ムテキング
電子戦隊デンジマン    ・ミセスコロンボ
なっちゃんの写真館   池中玄太80キロ
仮面ライダースーパー1 ・笑ってる場合ですよ