ゲーム今昔

TVゲームの昔話やドラクエウォーク旅

1985年(昭和60年):漫画から飛び出したヒーローと「世界のひげおやじ」

・1/30 FCアイスクライマー
・2/21 ファミリーベーシックV3
・4/9 FCサッカー153万本
・4/17 チャンピオンシップロードランナー
・6/21 FCスパルタンX142万本
・7  ファミマガ創刊
・7/18 スーパーカセットビジョン レディースセット
・7/26 FCファミコンロボット
・9/13 FCスーパーマリオブラザーズ681万本
・10  セガマークⅢ
・10/20 セガマークⅢでハングオン
・11/8  FCキン肉マンマッスルタッグマッチ105万本

■マリオが住む世界

当時任天堂には3つの研究開発セクションを設けていました。 開発第一部はウルトラハンドゲーム&ウォッチを開発した横井軍平氏、 第二部はファミコンを設計・開発した上村雅之氏、そして第3部は ファミコンカートリッジに電池を内蔵したバッテリーバックアップシステムを開発した 任天堂初のゲームクリエイターと言われる竹田玄洋氏が責任者でした。

そしてこの年、4番目のセクションである情報開発部の部長に 宮本茂氏が就任します。しかし宮本氏が情報開発部だからと言って他部署がマリオや ドンキーコングのゲームを作ってはいけない訳では無く、 おひげのおじさんは任天堂の様々なゲームに出演していました。 (スポーツの審判やビル解体屋やスポーツゲームの観客など)大工から配管工を経て転職を繰り返していたマリオですが それはそのゲームの中だけであって普遍的なものではありません。

「マリオと言えばこの世界」

という居場所はまだありませんでした。そして任天堂はROMカセットの容量不足や半導体高騰による 品不足を補う為に磁気ディスクを使ったファミコン拡張機器 「ディスクシステム」 の開発を始めていました。 (宮本氏もタイトル第一弾 「ゼルダの伝説」 の開発を始めていました)

宮本氏はROMカセット最後のゲームとしてファミコンで出来る事を 全てつぎ込んで 「マリオの世界」 を表現するゲームを開発します。宮本氏はこれまでに横スクロールのレースゲーム 「エキサイトバイク」 と 縦スクロールのアスレチックゲーム 「ドンキーコング」 を監修して来ました。

「それなら今度は横スクロールのアスレチックゲームはどうだろう?」

土管を残して前作の配管工というイメージは残しつつも 土管に入って辿り着く世界は 「夢の国」。アクションでも前作の「ジャンプ・下からパンチ・踏んづける・蹴飛ばす」という基本操作はそのままに、マリオは横へ横へとスクロールする夢の世界「キノコ王国」を走り抜けてゴールを目指す。まず 「大きいキャラクタを動かす」 というテーマでスタートします。

■「ドンキーコング」のスロープ、リフト、ベルトコンベア、はしご、
 「ドンキーコングJR.」のロープ、丸太、ジャンプ台、
 「マリオブラザーズ」の敵の攻撃、敵の動き、氷った床、パワー床、
  などのギミックを集大成として入れようとした
 (横スクロールはエキサイトバイクを、大きなキャラを動かすのは
  デビルワールドを参考にした)

■当初宮本氏は十字ボタンでジャンプ、A・Bボタンでのアクションを考えていたが、開発スタッフの反対でジャンプをボタンに割り当てた (攻撃方法も当初はライフルやビーム銃等が考えられていた)

■「エキサイトバイク」がゲーム開始時にステージを選べた事から「ROMカセットは途中でセーブが出来ないから上級者は最後のワールド8まですいすい行けたらいいね」という発想から「ワープゾーン」 が生まれた

■いろいろやろうという事でいつも以上にメモリ確保に苦心した(雲と草の茂みを同じ画像にしたり、敵を踏んづけた音と泳ぐ音を同じにしたり)

■ボーナスアイテムをコインにしたのは、例えばフルーツだとプレイヤーは敵と勘違いして逃げる可能性があったため。誰が見ても欲しいと思わせるのは 「やっぱりお金」となった

他にもファミコンの性能を使い尽くして作曲されたBGMやSEやマニュアルを読まなくても徐々に上達して遊べる様になるステージ構成、本当はキノコなのに見た目が茶色で「栗っぽい」事から名前が決まってしまったキノコ王国の裏切り者クリボー

多くの人達の思いを込めた結果、山内社長の期待を大きく超える全32ステージという壮大なボリュームとなったスーパーマリオブラザーズ」は発売されます。

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するとただでさえ多数のサードパーティが参入し、市場の90%以上を独占していたファミコン人気を更に加速させ、子供達はもちろん大人向けの週刊誌にもステージの画面写真を繋げた攻略記事が掲載されます。そして徳間書店はこの7月に世界初のファミコン専門誌「ファミリーコンピュータMagazine」を創刊、「スーパーマリオ攻略本」の発売を決めます。

すると発売前から本屋さんの注文が殺到、発売前に重版が決定するという前代未聞の事態を引き起こした上に、1985年~1986年に出版された書籍の中で2年連続最も売れた書籍となる等、ゲーム以外の業界にも影響を与える社会現象を起こしました。ちなみに1986年売り上げベスト30中徳間書店の本は7冊ランクインしており、内5冊がゲーム攻略本だった事からもファミコンブームの凄さが分かります。

国内販売本数681万本、全世界で4000万本以上販売されたこのソフトはブームを超えた社会現象として一気にファミコン知名度を全国に広め、「世界で最も売れたゲーム」としてギネスブックにも掲載されています。

■子供たちのヒーロー誕生
この年ハドソンはファミコン初参入ソフト「ロードランナー」の続編として「チャンピオンシップロードランナー」を発売します。

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しかし内容が難しすぎるという意見が社内にあり、ヒット作の続編とはいえそのまま発売する事に不安を感じたハドソンは当時子供達に絶大な人気を誇っていた漫画 「コロコロコミック」 のイベントで紹介してもらう様にお願いします。

そのイベントでカッコよくゲームをクリアしてくれる某教育TVの「体操のおにいさん」ならぬ「ゲームのおにいさん」を用意する様にコロコロ編集部から依頼されたハドソンは、若手の営業社員をそのイベントに「ゲームの上手なおにいさん」 として送り込みます。

ゲームイベント自体が珍しかった当時、銀座松坂屋で行われたこのイベントは 「ゲームのおにいさん」 のプレイに子供達が驚愕しつつ大成功で終わったのですが、イベント後に予想外の展開が待っていました。千人程集まった子供達のうち、数百人がこのおにいさん(ハドソン社員:高橋利幸氏)のサインを求めて帰ろうとしないのです。

当時コロコロコミックではファミコンを題材にした漫画が多く掲載されており、その読者対象のイベントで集まった子供達にとって、このおにいさんは「イベントで用意された営業の人」 ではなく「漫画から飛び出したヒーロー」だったのです。

この状況を見て 「こんなイベントを全国でやったら面白いね」 という話になり、同じく新作だったシューティングゲームスターフォース」を使って全国縦断イベント「ファミコンキャラバン」が始まります。このイベントで高橋氏は「高橋名人」となり、ものすごい連射で敵を一掃する「秒間16連打」で全国の少年ゲーマー達から尊敬や憧れを通り越して崇拝の対象となります。

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セガ3台目の家庭用ゲーム機

10月、セガから 「セガ・マークⅢ」 というゲーム機が¥15000で発売されます。ファミコン発売から2年後という事で本体の性能はファミコンを上回っていましたが、ファミコンの爆発的な人気とサードパーティ対応の遅れから王座を奪うには至りませんでした。

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しかし「SegaMasterSystem」という名で発売されたヨーロッパでは健闘を見せ、なんと海外版のファミコンNES)とほぼ互角にまでシェア争いを演じました。

先代機SG1000Ⅱとの下位互換付きで専用ICカードROM「マイカード」スロットを搭載。従来のカートリッジでは容量1Mを超えるタソフトの箱を「ゴールドカートリッジ」シリーズとして販売(中身のカセットは変わらず白)、自社アーケードの移植だけでなくオリジナルタイトルも発売され、対応84タイトルをリリースして性能では部分的にファミコンを上回る程でした。

しかし、ほぼ全て自社タイトルでサードパーティタイトルがサリオという特例メーカーの2本だけだった事と、この年「スーパーマリオ」という怪物タイトルがリリースされて形勢逆転は出来ませんでした。

しかし1984年に日本ソフトバンクが創刊したゲーム情報誌「Beep」が「発行部数の多い大手競合誌と同じファミコンを扱っても勝てない。敢えて2番手のセガを中心に扱おう」と当時セガマークⅢを中心に紹介、この路線変更によりBeepの発行部数も安定し、また「セガ人(せがびと)」というセガを好き過ぎて仕方無いマニアックなユーザーを生み出すきっかけになりました。

■世界初のTVゲーム専門情報誌

この年はスーパーマリオをきっかけに史上初のTVゲーム機専門誌が創刊されます。徳間書店が発行した『ファミリーコンピュータマガジン』です。(ちなみにファミ通は翌年の1986年創刊)

この雑誌では当時全盛だったファミコン各タイトルの「裏技」(通常出来ないプレイを実現させる特殊操作)を読者投稿で毎号50個掲載する人気コーナー 「ウル技(テク)50+1」 がありました。問題なのが 「+1」 で、その中にはファミマガ編集部が画像編集して作った絶対に出来ない 「ウソ技」 が1つ混ざっており、どれがウソ技か当てるのを次号までのクイズとしていました。

精巧に編集されたウソ技画像にすっかり騙されて掲載された操作を何時間も繰り返して次号でウソ技と知った全国のちびっこ読者が泣き崩れるという楽しいコーナーだったのですが、問題が起きます。

読者の大半が純粋な子供読者だった為に「この技は本当に出来るの?」とゲームを制作したメーカーに直接電話で聞くちびっ子が続発してメーカーから編集部へクレームが頻発するという、今では絶対に出来ない色々な意味で熱いコーナーでした。(特にスクウェアの 「水晶のドラゴン」 というタイトルで掲載されたウソ技はちびっ子に淡い傷を残しました)

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「参考資料」
社長が訊く 「スーパーマリオ25周年」
・超実録裏話ファミマガウソ技データベース付)

■1985年の主な出来事 (大卒初任給  144,541円)

『一般』
・日本初の男性エイズ患者を認定
・アニメ「タッチ」放映開始。終了までの3年間で平均視聴率が25%超え
電電公社がNTTに、日本専売公社日本たばこ産業株式会社(JT)に
エホバの証人信者の親が病院に搬送された自分の子供の輸血を拒否、死亡
日本航空123便が山中に墜落、乗員乗客524人中520人死亡
テレビ朝日ニュースステーション」 放送開始
・TBS「アッコにおまかせ!」放送開始
両国国技館が完成
・「8時だよ!全員集合!」16年の歴史に幕
・夕やけにゃんにゃん放送開始
・競馬でシンボリルドルフが7冠達成

『ゲーム業界』
ファミコンスターフォース」 発売。高橋名人16連射に全国の子供が驚愕
・史上初のゲーム専門誌 「ファミリーコンピュータマガジン」徳間書店から創刊
・「スーパーマリオブラザース」 発売。単体販売本数は現在でも歴代第一位
・「ボンバーマン」 発売。壁と爆弾に挟まれ切なく吹き飛ぶ子供が多発

『ヒット曲』
・C、Romanticが止まらない、ジュリアに傷心、ミアモーレ、悲しみにさよなら

『流行語』
・私はコレで会社を辞めました、イッキ、投げたらアカン、トラキチ、分衆、NTT

『この年に生まれた有名人』
白鵬宮里藍横峯さくらギャル曽根上戸彩大沢あかね後藤真希吉澤ひとみ
井上麻里奈沢城みゆき高垣彩陽名塚佳織福原香織、原由美

『テレビ・アニメ』
機動戦士Zガンダム    ・忍者戦士飛影    ・超獣機神ダンクーガ
・魔法のスターマジカルエミ ・ダーティペア    ・ハイスクール!奇面組
六三四の剣   ・タッチ  ・トランスフォーマー ・蒼き流星レイズナー
・Drスランプあられちゃん  ・小公女セーラ    ・ドリームハンター麗夢
のび太の宇宙小戦争    ・電撃戦隊チェンジマン