ゲーム今昔

TVゲームの昔話やドラクエウォーク旅

1978年補足:スペースインベーダー伝説 「ユーザー編」

スペースインベーダーのゲーム機を購入して設置・収入を得る店舗と、その店でひたすら100円玉をつぎ込んで攻略に勤しんだ「ユーザー」側のまとめです。

■インベーダーハウス誕生
前述した通りスペースインベーダーには立ってプレイする『アップライト筐体』 と喫茶店等でテーブル代わりに設置される座ってプレイする 『テーブル筐体』 の2種類がありました。ところが何回も硬貨を投入してプレイし続ける人がほとんどで、『何時間も立ってプレイするのは疲れる』

というユーザーの当然すぎる要求に従って、本来アップライト筐体しか置かないゲーム場にもテーブル筐体が増えて行きました。

しかしお客のほとんどが 『インベーダー』 のみ目当てで来場する為、ついに他のゲームを一切設置せずに『スペースインベーダー』だけを設置した 『インベーダーハウス』 と呼ばれる店も出現しました。

そして1~2週間で設置した筐体代以上に稼ぐという極めて高い収益性から喫茶店やレストラン、駄菓子屋といった各種飲食・物販店から『インベーダーハウス』 にする店が相次ぎました。

そうして全国各地でゲーム場が増える事になるのですが、それでもユーザーの要求を満たす事は出来ず、客足は営業時間中途絶える事はありませんでした。

店舗はゲーム機の電源を入れておけば売上は上がる一方な訳で、当時は営業時間における法的な規制も無かった事から24時間営業を行う店も増えて行きました。

こうした一連の 『インベーダーブーム』 はTVゲーム業界だけでなく他業種にも影響を与え、音楽レコード 『ディスコ・インベーダー』 やTシャツ・帽子・バッジ等、ありとあらゆる 『インベーダーグッズ』 が許諾の有無に関係なく作られました。

マスコミも連日の様にブームについて取り上げ、週刊誌には『必勝テクニック・これが名古屋撃ちだ!!』 等のゲーム攻略情報や、個人で業務用筐体を購入してしまった人などが掲載されて、挙句には 『ブームに何か問題は無いのか?』 と国会でも取り上げられました。

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■地球防衛隊 vs 保護者連合軍

『インベーダーブーム』 は20代を中心とした青少年を中心に起きていた社会現象だけに、子供達の非行化が懸念されていました。そしてその予想通りにインベーダーやりたさの恐喝や、夜中ゲームセンターに忍び込んで『インベーダー』筐体本体を盗む等の事件が多発し、また当時はゲームセンターも24時間営業だった為に未成年の深夜徘徊も問題になりました。

そんな子供達の非行問題に対処する為、全国の小中学校は 『インベーダーハウス入場禁止令』 を保護者に通達します。これを受けて凄腕の保護者達で構成されたPTAと生活指導の先生達が「保護者連合軍」を結成、放課後から夜にかけて自主的に盛り場を巡回してインベーダーハウスにいる子供達を補導して回り、捕獲した子供の親を呼び出して引き取らせるというとても立派な狩り活動を展開して行きます。

こうして宇宙からの侵略者だけでなく、保護者や先生達の見回りという新たな脅威と対峙する事になった少年宇宙戦士達の多くは、インベーダーハウスに行く事を自粛して行きます。

そして近所の駄菓子屋に置いてある『ゲームセンターで役目を終えた旧式インベーダー』をプレイする事で正義の心を満たすという、『侵略者の残党狩り』 に主戦場を移して行きました。しかし中には・・・・・

『地球の平和は俺たちが守る!!』

という熱い正義の心を胸に秘め、危険を承知でインベーダーハウスという戦場の最前線に身を置いて侵略者と戦い続ける少年宇宙戦士達もいました。まず彼らはインベーダーハウスで知り合った辺境の小中学生戦士達と日々作戦会議を行い、積極的に情報交換を行いました。

戦士A: 『○○小は来週から見回りの順番変えるってよ?』
戦士B: 『今日△△小は早目に巡回来るらしいぞ』
戦士C: 『うゎマジで?! 俺ダメじゃん、今日早めに帰るわ』

などの情報交換を行って互いの身の安全を確保し、味方が補導されて戦力が低下する事を防ぎました。更に日頃の防衛活動が評価されて隊長(店長)の好感度が上がっていると、 『キミ○○小だよね?そろそろ来るよ?』 と戦況を大きく左右する有益な情報が得られました。

そして万一、保護者連合軍と接触・戦闘に突入する緊急事態には機材搬入口やトイレの窓と言った逃走経路を使って戦線から離脱する手段も用意していました。(でも置きっぱなしの自転車でバレたり)

■警察介入による突然過ぎるブームの終わり

この様に一般市民が自主的に青少年を規制する動きが全国で盛んになると、さすがに警察関係者も対応を迫られる事になります。しかし今では想像も出来ないブームであっても、当時の行政関係者は対応を決めかねていました。

『インベーダーブームのここが悪いから規制する!』 と言えれば良かったのですが、そもそも 『インベーダー』 自体がどういう物か警察のおじさん達は分かっていなかったのです。

『上手くなった所で景品がもらえる訳でもないただのゲームに、なぜこれ程の人気が集まるのか?』この理由は上手く説明出来ませんでしたが、とにかくゲーム自体は悪くなくても『インベーダー』が原因で起こっている事に違いは無いのだから、という事で警察自身が規制をかけるのではなくゲーム業界に自粛宣言を出す様に指示して、結果として一般市民が『ああ、ゲーム業界が悪かったんだ』 と思わせる事に成功したのです。

当時のゲーム機や遊園施設の販売・運営に携わる業者約140社が加盟する団体である 『全日本遊園協会(JAA)』 は警察からの指示を受けて、1979年の6月2日に『インベーダータイプ・ゲームマシン運営自粛宣言』 を出します。この宣言は警察庁の要請に従って役員会で緊急に決まった物で、以下の4項目を掲げていました。

1: 管理者のいない場所には設置しない
2: 保護者同伴でない15歳未満の入場者にはゲームをさせない
3: 18歳未満者は午後11時以降の入場を禁止する
4: ゲームの結果に対して景品を提供しない

そしてゲーム業界が自粛宣言を出した6月3日翌日にはマスコミ各紙が 『ゲーム業界が自粛宣言を出した』 という記事を新聞に掲載します。意図的か偶然なのか分かりませんが、どの新聞も(自分が当時の記事を確認した限り警察庁が業界に自粛を要請した』事実には一切触れていませんでした

『ゲーム代欲しさの窃盗や恐喝事件といった社会に悪影響を与える青少年の犯罪が急増した原因がインベーダーにある事をゲーム業界が認めた』

インターネットも無く、新聞・テレビ・ラジオが情報源だった当時にこうした報道の効果は絶大で、一連の報道後はあれほど深夜まで賑わっていたインベーダーハウスの来場者が激減します。1日2~3万稼いでいた 『インベーダー』 のインカムも7~8千円にまで落ち込み、それでも十分に人気機種と呼べる収入でしたが世間を敵に回した(回された?)状況ではピーク時の熱気が二度と戻る事は無く、この時点で新規参入業者は早々と撤退を始めていました。

そして世間の認識がマスコミによって操作された後、ゲーム業界が自粛宣言を出してから5日後の6月8日に警察庁インベーダーゲーム機ブームに対する業界の自主規制と警察措置について』と言う通達を各都道府県警に送ります。

この通達は単に『業界が出した自粛宣言に警察も協力しますよ』という内容でしたが、内容よりもとにかく「警察が通達を出す」という行動をゲーム業界が自粛宣言を出した経緯を知る機会の無い世間が知れば、『ゲーム業界は子供の犯罪を助長してまで悪い事をして儲けていた。それを警察が取り締まってくれた』という印象をいよいよ強く持つのは当然だったと思います。

決して人気が衰えた訳では無く、以上の経緯から「青少年犯罪の温床となった」という印象を残してあまりに突然に1年でこのブームは終わりを告げます。そして新聞沙汰になった事で一般市民に芽生えた『ゲーム業界に対する偏見』はその後もゲーム業界に大きな影を落とす事となり、1984年に風適法(風俗営業などの規制及び業務の適正化等に関する法律)改正時にゲームセンターが規制の対象になる事に繋がります。

TVゲームが広く普及した現在でも、当時の騒動が元で世間の人達が持った『ゲーム業界に対する偏見』は色濃く残っています。皆さんの周囲にもゲーム業界に対して良い印象をを持っていない方がいると思いますが、それは当時の出来事に何らかの形で触れた事が原因かも知れません。

お疲れ様でした。以上がインベーダーブームの到来から終息までの経緯をユーザー側の視点で見たまとめです。

当時を知らずに今TVゲームを好きで遊んでいる人達には信じられない話に思えるかも知れません。24時間営業のゲームセンターなんて今では考えられない時代だったからこそブームが過熱し、風適法の対象となりました。(現在ゲームセンターは年齢別に入場時間規制がありますね)

警察介入からブームが収束した流れは当時ゲーム業界が出した宣言や警察の通達、そして当時の新聞記事を調べた時に感じた主観入りまくりなので、当時を体験した人間だからそう思うんだろ、と流していただけると有難いです。

間違い無いのは、日本中の子供達はもちろんサラリーマンのお父さんから国会議員の先生達まで一緒になって、1つのTVゲームに日本中が夢中になった1年が確かにあったという事です。